様々な議論を呼んだ東京オリンピックのロゴは、結局佐野デザインを使わないという形で落着しました。また、世の中には我こそはと新しいロゴのデザイン案を発表する人もでてきています。
話の賛否はさておき、日本で「デザイン」という言葉がこれほどメディアや日常会話に登場するというのは、珍しいことではないでしょうか。
ところで、「デザイン」とは一体なんなのでしょうか? 綺麗な絵や美しいロゴが「デザイン」なのでしょうか。
人によって「デザイン」の定義は千差万別です。ある人は「目的を達成し、満足を与えるもの」と言い、ある人は「形と中身の関係」と言います。グッドデザイン賞では、『 我々の生活をより豊かにするための「終わりのない継続的な創造的思考活動』」と定義されています。
また、「デザイン」にも様々なものがあります、工業デザイン、グラフィックデザイン、UIデザイン、都市デザインなどなどなど・・ 「デザイン」定義の違いは、その人がどの分野のデザイナーかによって異なっているようもに思えます。
一つだけ、どんな分野のデザイナーも、共通して言う言葉があります。「芸術(アート)とデザインは違う」ということです。
では、「アート」と「デザイン」は何が違うのでしょうか。文献や記事を見る限り、アートとデザインの違いは次のようなもののようです。
つまり、「デザイン」とはなにかと問われた場合、次のようなことが言えると考えられます。
もう少し表現としてブラッシュアップできそうですが、おおよそデザインとはそのようなものなのではないでしょうか。
これは非常に難しい問題です。
私が考えられるのはただ一つです。五輪ロゴのデザインが対象とするのは、ロゴに日常的に触れるホスト国の国民、すなわち日本人全体なのではないでしょうか。そして、よびおこす感情は、ホスト国としての誇り、喜びといったものではないでしょうか。
そう考えますと、1964年の東京オリンピックロゴがいかに秀逸であったかが理解できます。日の丸と黄金に輝く五輪は、ホスト国としての誇りや喜びといった感情をよびおこすにふさわしいデザインであると言えるでしょう。
ところで、2020年佐野案……取り下げたのですから「元」五輪ロゴなのですが……デザインを知る人は絶賛、そうでないひとは酷評という、かなり極端な傾向があります。
また、採用した組織委員会、デザインを高く評価している人の発言にも、ある一定の傾向があることに気がつきます。
これらの発言から見え隠れてくるのは、少なくとも今回作られた佐野案のデザインは、少なくとも日本人全体を対象としているのではないことです。
これは想像ですが、この「元」五輪ロゴの対象は、選考委員、特にデザインに造詣が深い人なのではないでしょうか。だからこそデザインを知っているか否かで評価が分かれたのではと思います。
そもそもデザインの対象とする人から違う・・それが「元」五輪ロゴの問題の本質なのではないでしょうか。
招致ロゴは美しく、また、東京へオリンピックを招致するという目的達成の一翼を担ったという点で、デザインとしても成功と言えます。このロゴは「世界の人を対象に、東京オリンピックのすばらしさを訴えかける」ことが目的のロゴです。
五輪ロゴと招致ロゴは目的が異なります。たとえ美しくても、招致ロゴをそのまま五輪ロゴに転用するのは避けるべきだと思います。デザインの目的が異なる以上、異なるロゴにするべきです。
今後、五輪ロゴを新たにデザインするとして、そのデザイナーには、デザインの対象とする人、デザインがよびおこす感情をしっかりと意識して頂きたいものです。
五輪ロゴはロゴデザインであって、ロゴアートではないことを、日本に、世界に証明してくれるようなロゴを望みます。
「デザイン」の定義
人によって「デザイン」の定義は千差万別です。ある人は「目的を達成し、満足を与えるもの」と言い、ある人は「形と中身の関係」と言います。グッドデザイン賞では、『 我々の生活をより豊かにするための「終わりのない継続的な創造的思考活動』」と定義されています。
一つだけ、どんな分野のデザイナーも、共通して言う言葉があります。「芸術(アート)とデザインは違う」ということです。
では、「アート」と「デザイン」は何が違うのでしょうか。文献や記事を見る限り、アートとデザインの違いは次のようなもののようです。
- 「アート」とは、表現者の内面の発露であり、自己表現である
- 「デザイン」とは、他者に働きかけ、感情をよびおこしたり行動を促したりするものである
つまり、「デザイン」とはなにかと問われた場合、次のようなことが言えると考えられます。
『デザイン』とは、対象となる人に一定の感情をよびおこしたり行動を促したりすることを目的として作られた、ノンバーバルな表現のこと
もう少し表現としてブラッシュアップできそうですが、おおよそデザインとはそのようなものなのではないでしょうか。
五輪ロゴデザインの対象は国民だ
では、五輪ロゴをデザインするにあたって、考えるべき「対象となる人」は誰なのでしょうか。これは非常に難しい問題です。
- 選手なのでしょうか?しかし、選手はロゴがどうであれ、メダルのために頑張るでしょう。
- スポンサーでしょうか?スポンサーはロゴの良し悪しよりも視聴率を気にするでしょう。
- 世界の人なのでしょうか?しかし、他国の五輪ロゴを覚えている人はどれだけいるでしょうか?私自身、ロンドン、北京のロゴはまったく記憶に残っていません。
私が考えられるのはただ一つです。五輪ロゴのデザインが対象とするのは、ロゴに日常的に触れるホスト国の国民、すなわち日本人全体なのではないでしょうか。そして、よびおこす感情は、ホスト国としての誇り、喜びといったものではないでしょうか。
そう考えますと、1964年の東京オリンピックロゴがいかに秀逸であったかが理解できます。日の丸と黄金に輝く五輪は、ホスト国としての誇りや喜びといった感情をよびおこすにふさわしいデザインであると言えるでしょう。
「佐野案」の問題点
ところで、2020年佐野案……取り下げたのですから「元」五輪ロゴなのですが……デザインを知る人は絶賛、そうでないひとは酷評という、かなり極端な傾向があります。
また、採用した組織委員会、デザインを高く評価している人の発言にも、ある一定の傾向があることに気がつきます。
1964年ロゴのリスペクト
デザインプロセス、意図は(リエージュ)のロゴと違う
一般の人には理解されない
これらの発言から見え隠れてくるのは、少なくとも今回作られた佐野案のデザインは、少なくとも日本人全体を対象としているのではないことです。
これは想像ですが、この「元」五輪ロゴの対象は、選考委員、特にデザインに造詣が深い人なのではないでしょうか。だからこそデザインを知っているか否かで評価が分かれたのではと思います。
そもそもデザインの対象とする人から違う・・それが「元」五輪ロゴの問題の本質なのではないでしょうか。
招致ロゴをそのまま使うべきではない理由
招致ロゴは美しく、また、東京へオリンピックを招致するという目的達成の一翼を担ったという点で、デザインとしても成功と言えます。このロゴは「世界の人を対象に、東京オリンピックのすばらしさを訴えかける」ことが目的のロゴです。
五輪ロゴと招致ロゴは目的が異なります。たとえ美しくても、招致ロゴをそのまま五輪ロゴに転用するのは避けるべきだと思います。デザインの目的が異なる以上、異なるロゴにするべきです。
今後、五輪ロゴを新たにデザインするとして、そのデザイナーには、デザインの対象とする人、デザインがよびおこす感情をしっかりと意識して頂きたいものです。
五輪ロゴはロゴデザインであって、ロゴアートではないことを、日本に、世界に証明してくれるようなロゴを望みます。